2018年3月31日土曜日

はじめまして サカイです

はじめまして、おんなの寺子屋スタッフ阪井です。

私阪井は アロマセラピストであり、
エステティシャンです。

北海道の雪深きニセコ、グランヒラフスキー場の近くでサロンを営んでおります。

香りでカラダや心の状態を読み解き、
「今のアナタは どんなですか」を視覚化して、
「今の自分に本当に必要なセルフケア」サードメディスンを利用してのご提案をしています。
カラダの状態も心の状態も精神も、
すべてひっくるめて
ホリスティックなエイジングケアを
ご提案するエステサロンを営んでおります。


私は 大阪で生まれ大阪で過ごしておりました。
短大卒業後はバブル崩壊直後。
OLを諦め、宝石の営業に就きましたが、
霊視のできる神主さんに観てもらうと、
「エステティシャンになるよ」とお告げ?を頂きました。実はなりたかった職種であったので、チェーン展開のエステサロンに24歳のとき就職。

イメージとは裏腹にハードな毎日で、夜中まで残業、終電逃してサロン泊、休日返上はあたりまえ、無我夢中で働いておりました。
日々のストレスをお酒で解消していたり、
喫煙もしていましたし、とにかく外食三昧。
夜は寝ない、食事もダイエットばかり気にしながら、コンビニヘビーユーザー。
スタミナドリンクばかり飲んでいて。

寒かろうが流行りのファッションであれば
ミニスカート。肌荒れしながら、フルメイクのフルコスメ。。。
シャンプーも、ヘアカラーも、
なぁんにも気にしたことなどありません。
なんとも めちゃくちゃな生活を
しており、なにか不調な症状が出ても すぐ
お薬に頼り、ごまかしごまかし過ごしていました。


29歳で北海道に移住をし、ホテルのエステサロンと自宅サロンとを両立しながらの
憧れのスローライフを楽しく過ごしておりました。
ストレスフリーになったはずなのに 移住後2年経ったあたりから、色んな不調が出始めたのです。
頭皮がずっと痒い。
生理が重い。咳が止まらない。
手足が冷たい。
何かがおかしいな、と思い始めた頃です。
ちょうどその頃結婚。
健康診断で子宮頚がん中度異形成がみつかりました。
その後再検査では子宮頚がんはなくなっていましたが子宮内膜症になっていました。
実はこの年に親友を子宮頚がんで亡くしていて、
悲しみの大きなショックが 心身共に影響しているのだと感じました。

やがて長女を出産。
三年後、二人目を妊娠しましたが、
妊娠7ヶ月のとき
死産となりました。
精神的に辛い日々を過ごしている中、
長女が喘息を発症。
闘病中の父の死。
一度に色んなことが重なり、

やがて私の身体に 吹き出したかのように
以前に増して
不調が襲ってくるように なり、
心身ともに ガタガタな状態になりました。

今まで自分の身体の声を無視して
選んできた 食、化粧品、医療、もろもろ、
私が選んできた私のマインドのツケが
きたのだ 気付きました。

このままでは いけない。
疲れが全くとれない日々で
いったい何が間違っていて、どうすれば
いいのかに 苦悩していた頃、
代替医療師Vanilla氏の免疫学に
出会いました。

カラダはいったいどんなシステムなの?
ホリスティックに 生きるって どういうこと?
興味を持った私は 氏の免疫学、
ホリスティックセルフケアを学び始めました。

「カラダは間違えない」
Never too late
ということを、教わることに。

ここに辿り着いて 自分のカラダに起こった事が全て繋がりました。
娘のことも、お空に帰った子も、自分の不調も。

そこから私の身体の土壌を変えていき
低かった体温は 36.8度から37度を
保てるようになり、
生理痛はなくなり、ドカ食いがなくなり、
マインドの落ち込みが ぐっと減っていき、
すこぶる体調が 良くなったと実感できてきました。
そして2年経った頃 待望の息子を産むことが
できたのです。



その息子も まだ変わりきっていない私の土壌から産まれたからなのか、アトピーを発症。

二人のこどもからは学ばされることばかりなのです。

「知らない 」って ほんとに 損だなぁ。
色々勉強して しみじみ思ったことです。

私達は 自分の カラダのこと
知らなさ過ぎでは ないでしょうか。


また、私達を癒してくれる術は
テレビやマスコミだけでは、耳に入ってこないものも沢山あります。


みんなそれぞれが持ってる知恵や経験を
みんなでお喋りしながら
シェアしていける場が あれば

学ぶ時間のない ママや 女性たちが
自分で自分を癒すことができて
家族の健康を守るセラピストに なれると
思い、おんなの寺子屋を スタートさせました。


一緒に楽しく学んでいけたら
嬉しく思います。



















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